牧師紹介
三木 新 牧師
(みき あらた)

    1983年、兵庫県姫路市生まれ。
クリスチャン家庭に育ち、小学5年クリスマスに受洗。その後、転校(東京)・部活(サッカー)等あり、中学時代は教会へ行ったり行かなかったり。高校生の頃、家族のことで悩みを抱え、必死に祈り求める。父親の信仰の姿から教えられ、大学時代に教会に戻る。島根大学教育学部在籍のとき、イエス・キリストの福音を直接伝える志を持つ。聖書宣教会卒業。キリスト教朝顔教会伝道師・副牧師を経て、2013年4月からぶどうの樹キリスト教会牧師に就任。

現在、二男二女の父で、6人家族。趣味はフットサル(定期的に教会青年有志でフットサルも行っている)、聖書のことについて教会の青年と語り合うこと。奥様は聡子さん。その名の通り聡明で明るく、飾らない性格が教会の雰囲気をリラックスさせてくれる。かわいい盛りの二男二女の子育て奮闘中。

教会スケッチ

『教会ってどんなとこ』 最近教会へ加わった方の声
 
 
その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群集が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」(ヨハネの黙示録7章9〜10節)

 この黙示録の箇所はヨハネが神の御国のビジョンを与えられ、書き記したものです。
オーストラリアのシドニーでイエス様に出会い、信仰を与えられ、帰国してまず初めに取り掛かったことは教会探しでした。探していた教会はヨハネの黙示録7:9〜10にあるような多種多様な人たちが集って礼拝する教会でした。まるで御国での礼拝を体験できるような教会です。
 ぶどうの樹キリスト教会には日本人の老若男女だけではなく、イギリス、オーストラリア、オランダ、アメリカ、台湾、マレーシアなど、世界の様々なところからの人々が同じ神様を礼拝しに集まります。不思議と普段はそれぞれの場所で全く違うことをしていて、生まれたところも育った環境も違う人たちが神様を礼拝するために集まると、家族のような交流になります。ぶどうの樹での時間は他のどこでも得られない恵み深い時間です。
                                                   R.S
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教会案内

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教会のあゆみ

“わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。
 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
 その人は多くの実を結びます。”(ヨハネの福音書 15章5節)

この聖書の箇所が「ぶどうの樹キリスト教会」の名前の由来です。
ぶどうの木は主イエス・キリストを示し、教会(クリスチャンたち)は枝です。 主に繋がっているときに、豊かな実を結ぶことを教えています。

この教会は、この聖書のことばに基づいて、 1991年に十数名のクリスチャンによってスタートしました。 小さな群れは、「聖書のみことばに堅く立つ教会」を形成するヴィジョンをもって、 その航路を主にゆだね漕ぎ出したのです。

最初の礼拝は1991年5月19日、上野にあるビルの5階をお借りして始まりました。 小さな礼拝でしたが、家族的な温かい交わりがありました。 牧師はおりませんので、舟喜順一師をはじめ聖書宣教会や諸教会の先生方が交代でメッセージのご奉仕をしてくださいました。

1993年に四谷に自前の教会堂を取得して、上野から四谷に移転しました。 交通の便の大変よい都心のど真ん中で、教会の働きが進められるようになりました。 礼拝出席者も徐々に増え、教会組織も整えられて、 1997年には日本福音キリスト教会連合(JECA)に加盟しました。

牧師の招聘を祈っておりましたが、1998年8月に富田雄治師が牧師に就任しました。 富田牧師は熱心に教会の働きをされた後、 2002年6月に退任されました。

その後、2003年7月からOMF日本委員会総主事をなさっていた牧野直之師を招聘し、
牧師に就任していただきました。 牧野牧師が就任してから、若い人が多く出席するようになり、
2006年7月から午前と午後の2部礼拝を行うようになりました。

2011年5月に創立20周年を迎えるこに至りました。

2013年4月から現在の三木新先生に、牧師としてご奉仕していただいています。

これからも、主の恵みと憐れみの中で、最初のヴィジョンを忘れず、 主の導きにより漕ぎ続けてまいりたいと祈っております。




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信仰基準

教会の信仰告白

一.
旧新約聖書六十六巻からなる聖書は、 すべて聖霊の導きのもとに書かれた、誤りのない神のみことばである。 聖書は、神からの啓示として、主イエス・キリストによる救いについてすべてを記しているので、 私たちの信仰と生活との唯一絶対の基準である。

二.
神は、唯一であって、父・子・聖霊の三位であられ、 永遠に存在し、全知全能であり、完全な聖と義と愛のお方であられる。

三.
神は、ご自分の栄光を現わすため、みことばをもってすべてのものを無から創造し、 その主権によって、すべての被造物を支配しておられる。 神は、罪人を救うため、ご計画に基づいて、御子をこの世に遣わされた。

四.
私たちの主イエス・キリストは、真の神であるとともに、真に人であるひとりのお方であり、 神と人との間の唯一の仲介者であられる。 主は、定められた時に聖霊による受胎によって処女マリヤより生まれ、 私たち人類の罪のために、身代わりとして十字架で死に、三日目によみがえり、天に昇られた。 主は今、父なる神の右に座し、私たちのために大祭司の務めをなしておられる。 主はやがて、みからだをもって再臨される。

五.
聖霊は、主イエス・キリストの栄光を現わし、人に罪を認めさせ、新たに生まれさせて、神の子とされる。 聖霊は、主を信じる者の内に住み、この世にあって主によって生きる者とされる。 その人々のためにとりなし、聖霊の実を結ばせ、賜物を与えられる。 また聖霊はその人々をキリストと同じ姿に変えられる。

六.
神はご自分のかたちにかたどって人を創造された。 私たち人類の父祖アダムは、神と正しい関係にあったが、 サタンの誘惑により神のみこころに背いて罪を犯し、神のさばきに服した。 このアダムの罪のために、全人類に罪と死が入り、人は生まれながらに罪の性質を持つ者となった。

七.
主イエス・キリストの身代わりの死のゆえに、主を信じる者はみな、 その信仰により義と認められ、罪を赦され、その支配から解放されて、永遠のいのちを持つ者とされる。 この救いはただ神の恵みによる。

八.
教会は、主イエス・キリストに贖われた者たちの集団であり、キリストのからだである。 そのかしらはキリストである。 また、教会に属する者は、枝が幹についているように、キリストにとどまっているなら、多くの実を結ぶ。 教会は、主のみこころに従う交わりであって、共に神を礼拝し、 バプテスマと聖餐の礼典を守り、互いに仕え、愛し合い、主の訓練を受け、福音の宣教に励み、主の再臨を待ち望む。

九.
主イエス・キリス卜は再び来られてさばきの座に着かれる。 そのとき死者はからだをもってよみがえり、すべての者が主のさばきの前に立つ。 主は信じる者を永遠の祝福に、信じない者を永遠の刑罰に分かち定められる。 主は終わりにすべてを新たにし、御国を父なる神に渡される。

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